大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和56年(オ)661号 判決 1982年10月07日

上告人

浅村博美

被上告人

株式会社

大和銀行

右代表者

池田一郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

原審の適法に確定したところによれば、被上告銀行においては、本件就業規則三二条の改訂前から年二回の決算期の中間時点を支給日と定めて当該支給日に在籍している者に対してのみ右決算期間を対象とする賞与が支給されるという慣行が存在し、右規則三二条の改訂は単に被上告銀行の従業員組合の要請によつて右慣行を明文化したにとどまるものであつて、その内容においても合理性を有するというのであり、右事実関係のもとにおいては、上告人は、被上告銀行を退職したのちである昭和五四年六月一五日及び同年一二月一〇日を支給日とする各賞与については受給権を有しないとした原審の判断は、結局正当として是認することができる。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定しない事項を前提とし、若しくは原判決の結論に影響しない点について原判決を論難するものであつて、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(中村治朗 団藤重光 藤﨑萬里 谷口正孝 和田誠一)

上告人の上告理由

第一、原判決には判決に影響を及ぼすことの明白な法令違反がある(民事訴訟法第三九四条)。

原判決が上告人の本件賞与受給権を否定したのは、本件賞与の性格につき、労働基準法第一一条の解釈を誤つた結果同条項不適用の違法な判決を為したものであり、破棄を免れ難いものである。

1 原判決は、本件賞与の性格につき

(1) 上告人、被上告人間には、当事者間の雇用契約の内容となつていた就業規則が存し、

(2) 「右就業規則第三二条により」、上告人は被上告人に対し賞与を受くべき権利を有していた、

と本件賞与の任意恩恵性を否定し被上告人の支給義務を認定しながらも、あくまで就業規則によつて支給されるもの、とし

(3) 同就業規則三二条は賞与支給につき支給日在籍者に限る旨改訂され、

(4) 同改訂は、上告人の黙示の承諾により、又、合理的な労働条件を定めたものとして法規範性を有し、当事者間に有効なものであるから、

(5) 該支給日に在籍していなかつた上告人は、「右改訂就業規則三二条により」本件賞与の受給権を有しない。

と判決し上告人の本請求権を否定した。

2 しかしながら、右は労働基準法第一一条の解釈を誤つた違法なものである。

(1) すなわち、右条項は「……賃金の概念を個別的な契約上の支給義務とかかわりなく、客観的な『労働の対償』と規定し、労働と事実的な相関関係にたつ報酬をひろく、これに含める立場にたつことを明らかにしている……」(沼田「労働法論」(上)四四三頁参照)ものである。

(2) すると、「賞与」といえども、もとより現在では、賞与制度はわが国の社会的風習にともなう夏季と年末の一時的な出費増と密着した生活補給給与としての賃金の支払形態として定着しており、かつ、ある期間の勤務(労働)を査定して具体額を決して支給するものであればそれは勤務(労働)と報酬が客観的な事実的な相関関係にあり該報酬は該算定期間の勤務の対価たる賃金というべきところ、就業規則等でその支給が明確に規定されている場合に至つては、賞与の支給が雇用契約の内容となり使用者が支給義務を有す(支給が任意恩恵的なものでなく労働者の権利となつている)ものとして、当然に「労働の対償」であり、かかる場合は、賞与を就業規則により支給されるいわば単なる包括的な対価とみることはできず賃金と解さざるをえないこと明白である。

(3) さすれば、本件賞与は、就業規則に支給が明示され雇用契約の内容として、支給月の前決算期間の勤務(労働)を算定し支給されてきたもので、右(1)(2)より明白なとおり、本件賞与受給請求権は、賃金としての、右該勤務(労働)の対価として既に同勤務(労働)とともに発生していた――夏季分に至つては全算定期間を勤務し具体額すら確定していた――請求権に他ならないから、それが上告人の支給日の在籍如何により左右されるものでないことは明らかである。

(4) 又、仮に本件就業規則の改訂が有効なものであるとしても、それは変更内容が効力を有す日以降の雇用契約の内容としての賞与の性格を変ずるものであるにすぎず(勤務との客観的事実的相関関係からの帰結性はしぼらくおくとしても)、該請求権放棄の意思表示でもない限り、既に勤務(労働)した部分の対価として、発生している賞与受給請求権が左右されることはありえない。

(5) 従つて、原判決は、右1、(1)(2)の認定事実等をもつて労働基準法第一一条の解釈適用上、本件賞与を賃金として上告人の請求を認容すべきところ、右条項の解釈適用を誤つたが為に違法な判決を為したものであり破棄を免れない。

第二、以上で原判決が破棄されるべきは明白であるが、加えて、(仮に万一本件賞与の性格を原判決理由二、の如く解するとしても)同理由三、に為される、本件就業規則の変更を有効と認定した判断は審理不尽・理由不備の違法なもので、かかる点からも原判決は破棄を免れ難いものである。

1 原判決は、本件賞与につき、就業規則により支給されるものであるから「賞与支給が就業規則に明示され雇用契約の内容となつていれば、『支給日在籍者にのみ賞与を支給する』という『慣行』の存否等を論ずるまでもなく被上告人の支給義務を認め」、上告人の受給権を認定し、ただ本件就業規則の変更が為されたため、その効力を認定するにあたり、

(1) 上告人は、右慣行の存在を従業員組合執行部による本件就業規則の変更の為の情宣活動により知り、

(2) 右慣行が就業規則に明文化されることを知つた上で、

(3) 格別の異議なく新就業規則書を受領した

のであるから、本件就業規則の変更を上告人は「黙示的に同意」したものであるとし、改訂就業規則の上告人に対する有効性を認定した。

2 しかしながら、右「黙示の同意」の認定は、雇用契約の内容を左右するもので、かかる誤認は単なる事実問題ではなく法律問題として判決に重大な意味をもつものであるところ、右「黙示の同意」を推定させるとする認定事実は、右1、(1)(2)(3)共にすべて、被上告人の主張、被上告人従業員組合の見解文書である乙第三号証、等よりの羅列にすぎず、右「黙示の同意」の認定にあたつては、右主張、見解の真実性――右執行部による情宣活動が真実行なわれ、又如何なる態様で為されたのか、又改訂就業規則書の配付行為が如何なる態様で為されたのか(これらはすべて上告人が争つてきたものである)――を、実体に即して判断すべきであるにも拘らず、右裏付のない主張・書証により漫然と判断したもので、(特に、理由三、3、後段の「……全組合員に対して……改訂条文及び改訂の趣旨目的を記載した大会資料を配付し」と右推定を決定づけるべく、真実に反し、かつ被上告人よりも主張すら為されていない事実認定を為すに至つては、)これら総て審理について未だ尽さざること明白であり、審理不尽・理由不備の違法がある。

3 又原判決は、改訂就業規則は合理的な労働条件を規定したものであるから法的規範性を有し個々の労働者の同意は不要であるとするが、その合理性認定の重要な要素は右慣行の存在の認定であるところ、慣行の存否は当然実体に即して判断されるべきであるにも拘らず原判決は漫然とこれを為した審理不尽の違法なものである。

すなわち、もとより、就業規則の変更により雇用条件の一である賞与受給権を奪うものでかかる場合は合理的とはいえず個々の労働者の同意を要するものであるが、かつ、右慣行はいわゆる個別的労働関係に属するもので、職場規律、勤務条件等に関する集団的労働関係に属するものと異り、周知性に欠け慣行として成立しにくいものと推認されるものであり、経験則上、かかる慣行が存在すると判断する為には実体に即した蓋然性の高い証拠を要すべきところ、原判決の右慣行認定は被上告人の主張、被上告人従業員組合執行部の見解文書(乙第三号証)内容の羅列的認定、乙第一〇号証の表面的評価による認定にすぎず、右はいずれも実体に即した裏付のない証拠によつて為されているものが審理不尽の違法なものといわざるをえない。

よつて、原判決が破棄せられるは明白である。

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